Deprecated: Assigning the return value of new by reference is deprecated in /home/users/2/chicappa.jp-sammy/web/diary/class/View.php on line 25

Deprecated: Assigning the return value of new by reference is deprecated in /home/users/2/chicappa.jp-sammy/web/diary/class/View.php on line 30

Warning: Cannot modify header information - headers already sent by (output started at /home/users/2/chicappa.jp-sammy/web/diary/class/View.php:25) in /home/users/2/chicappa.jp-sammy/web/diary/class/View.php on line 81
日記|go8photo.com ごうやふぉと::おばあちゃん。

写真 GALLERY

ARCHIVES
TAGS
おばあちゃん。
一月末日、おばあちゃんが亡くなりました。
満87歳でした。


おばあちゃん1.jpg


ーーーーー心の整理用です。ーーーーーーーーーー

 脳梗塞による認知症と体の不自由度が加速して、3年程前から老人ホームにお世話になっていたおばあちゃん。

 老人ホームに入る前まで、私は仙台で生活をしていたので、実家に顔を出すのも年に数回。正直に言えば、家に帰ってもおばあちゃんの世話や家庭の事でいっぱいいっぱいなのに、生業である農業がピークを迎えると、母親も父親もイライラしていて、すごく嫌だった。
でも、当時は気まぐれで帰った自分が家に居ても何もしてやれないし、ずっと家に居なかったことで、協力できていなかった。そういう自分に罪悪感を感じることもあった。

 ある冬の早朝に、おばあちゃんが居ないと大騒ぎになり、まだ足跡の残る雪道を手がかりに父が探しに出かけたという日もあったとか。所謂、「徘徊」といういうやつ。
その時おばあちゃんは「孫の受験があるから。ついていかなくちゃ。お父さんとお母さんは忙しいから。私が・・」と言いながら駅に向かっていたそう。

いつも、孫が一番て言う。



 小さい頃から共働きだった両親に代わり、面倒を見てくれたのがおばあちゃん。今思えば三人の孫がそれぞれ幼稚園に入るまで毎日毎日面倒を見て、夕飯の準備もしていたのだから、すごいことなんだよなぁ。もちろん、小学校の時も中学校の時も高校の時も、毎日おばあちゃんが家にいたから、「家に誰か居ないから寂しい」って気持ちが、わからないで育った感じ。

 思春期になると、毎朝学校に行くまで「あれ持ったか、これ持ったか」って言うことから始まり、ちょっとでも「学校つまんない」っていうと、毎日毎日毎日ものすごく!心配してくれて、そんな気持ちをうっとうしく感じることもあって。まさに「トイレの神様」状態!だった。

庭先で.jpg


 運転免許も無ければ、交通機関も発達していない環境でおばあちゃんの行動範囲は半径2km程度もなかったんじゃないかな。と思ってた。家庭が自分の世界の中心で、自分の子どもは三人とも男なのに、孫は三人とも女!そうなったらかわいくて、大事にしたいと思うのも当然なんだろうけど、いやだったな。。。いつも干渉されている感じがして。少しは一人になりたい、早く家を出たい。って思ってた。

 老人ホームに入ることが決まったと、母から聞いた時、それでも母は「かわいそうだな。家でもう少し見てあげられたかな」って言っていて、私からしてみれば、何の問題もない。むしろお互いにとっていい方向にいくのではないかと思ったし、なんで嫁である母がそこまでって思った。食事から下の世話もしていてなんで?って聞いたら「それは、家族だからね」ってはっきりと迷い無く答えがかえってきた。私からみたら嫁、姑で、それぞれの言い分をそれぞれから聞くこともあって、なんだかな。って感じだったんですけど。

「夫婦ってつくっていくもんだからね」
って、前に誰かが言ってたけれど、同じように、家族も、築き上げていくものなのかな。

でんしゃ内.jpg


 老人ホームに入居後、初めて私も面会に行くことになった。桜が咲く陽気な春の日で、母が運転する車に乗っている時、なぜかわからないけど涙が出そうになった。近い間柄だと、涙なんて余計に見せたくないもので、必死に堪えて老人ホームにたどり着いた。
 
 思っていたより広い二階建てで、二階部分の6人部屋に入居しているとのこと。二階というのは、症状の重い人が入るところで、エレベーターは勝手に操作できないようになっていて、もちろん階段も目につかないようになっている。その日はおばあちゃん、広間に大勢の入居者といて、うれしいとか、悲しいとか、そんな表情ではない、だた虚ろな目で遠くを眺めていた。「おばあちゃん」って声かけたら、間があって「さとみか?」って笑って答えてくれた。普段、誰が誰だかわからないくらい痴ほうが進んでいたのになのに、なんで私のことは分かるんだか。あんなに冷たくした時期もあったのに。もう、涙おさえることができなかった。マスクしてたからよかったけど、本当に声を上る程に泣けて泣けてしょうがなかった。

「また来るからね」って言った後は空虚な表情で、おばあちゃんは「おばあちゃんの日常」に戻って行った。

 3年というのはいろんなことがあるもので、風邪をひいたら病院に入院したり、なんだかんだと体の不調が絶えなかった。ある時いよいよ喉から食べ物を接種することができなくなり、病院からの勧めもあり「胃ろう」を希望したのだ。
それからはお腹に穴をあけて、管から栄養のあるものを流し込む食事が始まった。一度その光景を見たことがあったけど、なんとも無味乾燥な雰囲気で。毎度うまくいけばいいけど、喉に痰が絡むとバキュームみたいなのでとりださなくてはいけなくて(これは胃ろうに関わらずなのかな?)。普段何の感情も顔に出すことが無いのに、その時だけは「苦しい」って表情して、涙まで流してた。

これには、家族みんな今でも疑問で、とは言え胃ろう意外に何かあるとすれば、点滴で栄養を取り入れる方法なのだというけど、、、。

口からごはんを食べられなくなるよりはいいのかな。点滴してたま〜〜に調子いい時は何か食べさせてあげることができたのかもしれない。


 昨年秋には、老人ホームを移動した。希望していたホームに空きが出たというのだった。それまでいたホームは自立できるように訓練が出来るような所、希望していた所は寝たきりの老人が入居するところだった。住民票も移し替えが必要。

それまでのホームは週に二回程、着替えたものの交換にいかなかればいけなくて、面会も自由にできたのだけど、転居したホームは身の回りの全てを職員がやってくれるのだという。面会に全然行かない家族もあるのだとか。
それでも母は週に一回以上は面会に通っていた。

それから冬になって、インフルエンザ対策として必要以上に面会に行けなくなり、気にはかけていたけれど、しばらく落ち着いた日々を過ごしていた。

おばあちゃんとみんな.jpg



 そして、1/31、夜中の2時に電話。
出たのは私。ホームから
「至急きてほしい。」と。
こわくて震えが止まらなかった。

両親が駆けつけてから一時間もしないでおばあちゃんは亡くなった。
正確に言うと、職員が見回った時点ですでに息はなかったらしい。

4時ころ家に帰って来たおばあちゃん。
チークと口紅をいい感じにつけてもらったみたい。思っていた以上におめかししていてかわいらしかった。

まだ、生きているみたいだった。

 それからは怒濤の日々。

希望していた会館の混雑もあり、通夜は3日後、お葬式は4日後と、ちょっと長い期間掛かってしまったけれど、今まで家を留守にしていた期間が長かったからいいよね。って皆でしゃべっていた。

葬式の準備もばたばたと。最近の式ではスライドも流してくれるみたいで、姉妹でおばあちゃんのアルバムからいろいろさがしてみた。

そしたら、思ってた以上にすんごい数、旅行に行ってたみたいで。
笑顔の写真いっぱいあった。
おばあちゃんの世界は全然狭くなんかなかった。
戦時から戦後、平成を生きて、今以上に大きな時代の変化の中を生きてきたのだから、私なんかより、多くの悲しみや喜びを知っていたんだよね。

 自宅から会館に移る前、映画「おくりびと」でみたような納棺士が一時間程かけて身支度を整えてくれて、いよいよ自宅出棺の時には地域の方々がたくさんお見送りに来てくださった。

お通夜では地域のお母様方10名以上でありがたい念仏をよんでくださり、葬式ではメインの住職に加え2名の副住職、計3名で盛大にお経を唱えてくださった。
シンバルみたいなのジャンジャンならしてた。

あまりにも盛大すぎて圧倒された感がありつつも。。。

でも、そんな風に多くの方々に見送られて、本当にありがたかった。

身内の死をもって、人の人生の重みと、故人や周りの方々への感謝を今まで以上に感じることができた。

 期間中は、お仕事もあったのにお断りしてしまい、ご迷惑をおかけしましたが、皆様気を遣ってくださり、本当にありがとうございました。
この場にかえて改めて御礼申し上げます。


 ふと。後悔のない人生を、なんて言うけれど、後悔のない人生なんてあるのかな。後悔しないように!って意気込んで刺激や変化を求めていればその時は楽しいけど、同じ毎日を繰り返し過ごす中で小さな喜びや楽しみを積もらせていけば、とっても大きな幸せになるんだろうな。

結婚写真.jpg



おばあちゃん、暑い時は「冷たいもの美味しい〜〜」って言って、寒い時は「あついもの美味しい〜〜」って心から言ってたけ。

梅干しや柿の渋抜き、漬け物、季節感溢れる美味しい野菜、その食卓の味は今でも記憶に残っていて、思えばとても贅沢な時を過ごしていたな。

おばあちゃん、本当にありがとうね。


固定リンク | comments(4) | trackbacks(0) | この記事を編集する
<<体づくり。 | Hiroh Kikai:PERSONA @山形美術館。 >>